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  • 執筆者の写真Sari Kaede

AOM対談:メディアは身体性を帯びてきているけど、身体もメディア性を帯びてきている

AOM対談:メディアは身体性を帯びてきてるけど、身体もメディア性を帯びてきている

畑島楓×都築響子(東京藝術大学)


 -メディアは身体性を帯びてきてるけど、身体もメディア性を帯びてきている-

 英オックスフォード辞書が年末に発表する「今年の言葉」は、その年を象徴するものとして世界的な注目を浴びている。2016年の言葉として選ばれたのは「post-truth(ポスト真実)」という言葉であった。2016年前半は、ポケモンGOのようなVR技術が一般社会に普及することでデジタルが真実と共存するような体感があった。また、SNSを通じて虚偽のニュースが伝わったり、高度な情報戦による大統領選が展開された。虚構が真実よりも真実らしく振舞うことで社会に混乱をもたらすなど、我々の生活が部分的に真実の向こう側(ポスト真実)に入り込んでしまうような印象も受けた。2016年の建築業界はどうだろうか。前半は新国立競技場の動乱や杭偽装問題の発覚があった。後半は築地市場の豊洲移転に伴う問題が印象的だった。いずれにせよ、様々な情報が独り歩きし、事実関係の把握や検証が困難な状況が事態を悪化させた。また、憶測による情報が真実味を得ることで、憶測をベースに新たな憶測が生まれることで、国民の不安感を煽ったことも事実である。建築には様々な与件(構造的/法規的/文化的/歴史的/環境的与件など、挙げればキリがない)が絡み、議論の視点を変えることによって批判も絶賛も容易にすることができる。他方、それだけ幅のある建築だからこそ多様な価値観を表現することが可能である。「ポスト真実」の今、建設行為への理解と賛同を得る媒介が必要とされている。


 そのような状況の中で、都築響子の活動に希望を見出すことができる。彼女の活動には「建築の概念を翻訳すること」と「概念の主体を代弁すること」の二つの側面を見ることができる。都築の両側面は決して交わることなく、ビジネス(または職能)としても全く異なる射程を持っているように見える。「あなたと建築したい」や「建築界の広告塔」などのフレーズで圧倒的な知名度を得た以前の活動は圧倒的に前者であった。トレンドマークである頭上建築を被りながら登壇したTEDxのトークでは、来場者層に合わせた平易な語り口が意識され、「建築の概念を翻訳すること」に徹した彼女の姿を見た。


 また、《築怪盗キャットウォーク/東京藝術大学・卒業設計》では、小学校の”廃校”という事件やそこに立ち会った”建築”という容疑者を代弁するゴーストライターという印象であった。かくして彼女はレム的な文脈を受けつつも、傍観者ではなく主体としてのゴーストライトに挑戦していこうとしているように見える。建築自体が擬人化しながら犯行予告を企てるような活動が象徴的で、「あなたと建築したい」の時代から一貫した「概念の主体を代弁すること」に対する姿勢を感じる。彼女は建築アイドルとしての活動も展開しているのだが、一歩踏み込んだ見方をすると、都築さんは評価されるべき建築を正しくブランディングする(=意匠やコスト等の批判対象になりやすい項目の妥当性を大衆に理解させる)ためのアンバサダーとして自身もアイドル化していったのではないか。だから、広告塔だと。「建築の概念を翻訳すること」と「概念の主体を代弁すること」を使い分けながら、多様な活動を展開し続ける彼女の真相に迫りたい。

(2017年2月8日)


都築響子-建築怪盗

[fig.1]都築響子-建築怪盗


畑島:

この冊子AOM(Action Of Me)は、これまでの活動を紹介したものです。その中でも音間やコトバコなどのように建築を空間言語とは違う次元で解釈したり表現する活動は、建築の“建物”としての側面ではないポテンシャルを感じることができました。建築をどう表現し、どのように社会に浸透させるかという点では、建築の“メディアとしての側面”と言うことができるかもしれません。そのような興味から、AOMと都築響子さんの交差点を見つけることができればと思っています。それでは、よろしくお願いします。


都築:

よろしくお願いします!「あなたと建築したい。」都築響子です。楓さんとは直接会ったことはないですが、SNSから活動や発言を拝見していて、ずっと注目していたので、今回このような機会をいただけて、とても嬉しいです。トークテーマは建築の“メディアとしての側面”ということですがいつも製図室で建築の人と話す内容は、やはり意匠の話が中心になりがちなので、話の初めから違う視点で切り込んでいくのが今回楽しみです。読む人にも、何か発見のあるような場にできるように、言葉たらずですが頑張ります。


頭上建築

[fig.2]頭上建築


畑島:

建築ってそもそもがハードの概念で、一般的には建物自体のことを建築と呼称したりします。そこで建築のメディアという話題を取り上げると、都築さんの指摘されているように意匠の問題として議論されがちです。同時に、ハードにメディア的な側面を付帯させることを目的としてユビキタスの領域まで話が広がることもあります。今回の対談は、そのような『建築に付帯させるユビキタス的な何か』の議論ではなく、建築自体がメディアとしてのポテンシャルを有しているのではないかという議論になると思います。この認識の違いってかなり混同されがちですが、とても重要だと思います。私が都築さんにファーストコンタクトを取った頃には既に「あなたと建築したい」というフレーズが完成していたと思いますが、現在のような興味はいつ頃から持たれていたのでしょうか?


都築:

"建築に付帯させるユビキタス的な何か"はちょっとよくわからないので、補足いただきたいです。


興味を持ったきっかけは、大学2年生の時です。当時から、”建築”と”人々”との間に距離を感じて、その当時はなんだかわからないけど言葉にできない「あんまりいい状態ではない気がする」という違和感がありました。建築の魅力が、一般の人に伝わっていないんだって感じて、もやもやしていました。建築自体に「メディアとしてポテンシャル」ってすごくあって、いや、もう、本当に、メッッッチャある。なのに日本はあまりそれを発揮させることが得意じゃないのかなあと感じています。一般の人は、その問題にそもそも気づいていないんじゃないかとも思います。


今、「場所の魅力をカタチを介して発揮させること」はみんなが問題意識を持って課題にすべきことだろうなと。コンテンツ産業が日本が得意でイベントや2次創作をすることで成果をあげていることは素晴らしいことだと思いますが、形が無いものだけに頼るのは人口も減る今後とても心配です。このタイミングで「コト」だけじゃ無くて、そこに圧倒的な現実として存在する「場所」や「カタチ」に対してて意識を改めなければいけません。


畑島:

本題とは関係ないのですが、『ユビキタス的な何か』というのは建築に対して空間を理解するための付帯物などを計画するような状況のことです。例えば、動線計画的に失敗している駅では沢山の案内表示が建物に付帯されています。世界一分かりやすい空港として定評のある関西国際空港では建物の構成とユビキタス(つまり、その建物を利用する人たちの知りたい情報をガイダンスしてくれるメディア)がうまく融合しています。『巨大な国際空港の中で『自分のいる位置』や『次にどこに行けばいいか』が明確に示されています。これも建築のメディアとしての側面ですが、今回はこのような話題ではないということです。


かなり早い時期から着目されていたのですね。都築さんといえば、頭に建築物を載せながら建物の代わりに話すというスタイルが有名ですね。あの形式は、腹話術のようにも見えます。自ら発信することのできない建物に変わって自分が発言・発信しているんだという活動という理解でよろしいでしょうか?


都築:

なるほど、アクティビティデザインのような側面の話だったんですね。確かに今回はそうゆう話がしたいんじゃない。頭上建築のことを知っていていただけて、嬉しいです。「建物は言葉を話せない、そして動けないので、代わりに発言・発信する活動」で合っています。腹話術という表現は初めてされましたが、とても合っていると感じます。人々の興味をひくように目立つキャラクターを演じることで、建築に触れるきっかけをつくるという狙いもあります。



頭上建築-街

[fig.3]頭上建築-街


畑島:

建築をメディアを使って説明する方法は色々ありますが、一般的にはコンセプト文として言葉で説明したり、ダイアグラムを使って建物の構成を説明するといった手段が取られます。私たち設計者が多用するダイアグラムの手法を普及させたのはオランダの建築家レム・コールハースだとも言われていますが、そろそろこの手法から脱却しないと建築は次のステージに進めないのではないかと思っていました。そんなときに登場したのが頭上建築です。もちろん、十年後の建築学生がこぞって頭に模型を載せながら設計物のプレゼンをするという風景は想像しがたいのですが、頭上建築という擬人化した建物自体がメディアとして振舞う手法は盲点でした。自治体のイメージをマスコットキャラクターに憑依させて場所の魅力を発信させようとする、いわゆる『ゆるきゃら』の普及と時期が重なっていたので、時代を読んだ発信方法だなというのが最初の印象でした。実際にこの頭上建築を使って行われた活動などはあるのでしょうか?


都築:

”人々”と”建築”を繋ぎたかったので、まずは興味を持ってもらわないと、と思って

街にとびだし草の根的な活動からはじめました。衣装を着て、街を歩いて、建築や印象的な場所の前で撮影をしてまわりました。パフォーマンスをしていると、街行く人が話しかけて来てくれます。話を聞く人が楽しめるように、その地域の建物について建築のクイズをしたり、建物の特徴を豆知識みたいに話したりしていました。そんなことをしているうちに、イベントやパーティにパフォーマーとして呼んでいただいたり、建築関係の会社でアンバサダーを務めさせていただけるようになりました。


昨年の2月には未熟ながらも、TEDxYouth@Kobeでプレゼンさせていただきました。ずっと「建築界のさかなクン」を目指していたので、ゆるきゃらと時期が重なったのは偶然なんですが、頭上建築や衣装を用意するときに、愛らしさや可愛さを大切にしています。地域に根ざした建築を題材にして、場所の魅力を発信する。というのも重なるので、ゆるきゃらに近いものなのかも知れません。


建築って専門性が高く、難しい印象を持たれがちなんですが、衣食住にも含まれて、毎日接するものなので、ファッションや食事のようにすべての人が自由に楽しめるものであるべきだなと思っています。なので、建築家のアイコン写真がこぞって威厳ありそうな立派なものなのは不思議。


アンバサダー/TED1

[fig.4]アンバサダー/TED1


アンバサダー/TED2

[fig.5]アンバサダー/TED2


畑島:

「建築界のさかなクン」というのは分かりやすいですね。さかなクンは学会に所属する有識者でありながらも、海洋学への関心を一般大衆に抱いてもらうためのメディアとしてマスコットを被りながら活動されています。都築さんの活動にさかなクンのようなイメージがなかった当初は、建築界の広告塔として頭上建築を被りながら本格的な建築のプレゼンテーションをされているのかと思っていました。そのため、都築さんが東京大学の吉備さんと一緒に登壇されたTEDxトークをYoutubeで観て初めて頭上建築のスタンスを理解しました。聴講者の層に合わせて翻訳のレベルを変えていて、TEDxでは建築のメディアとしての可能性をかなり平易な言い回しに置き換えて話しているというのがすぐに分かりました。今まで、渋谷ヒカリエや新国立競技場のザハ案などを被ることで建築業界内だけで完結してしまいがちな時事問題に光を当ててきました。ザハ案が炎上しているタイミングで新国立競技場を頭上建築にしたときは、さすがにビックリしました。今後もこのようなスタンスで翻訳の精度を上げながら活動されていくのでしょうか?また、今後頭上建築に挑戦してみたい建物などがあれば教えてください。


新国立競技場1

[fig.6]新国立競技場1


新国立競技場2

[fig.7]新国立競技場2


都築:

聞く人に合わせて話し方や話の内容は変えるようにいつも意識しています。

同じくらい、その人が面白がれるように話すことも。時事問題を取り上げるようにしているのも、そのためです。建築業界でプレゼンする時は大先輩の前で偉そうに「建築界このままじゃヤバくない?」といった内容を話していたりもするので、内心ドキドキです。礼儀を払いつつも喧嘩はうるようにしていて、大先輩方にも、やってやろうじゃん!って気になっていただきたいと思っています。この活動は建築や社会に対して勉強しつつ、精度をあげながら長く続けていきたいと思っています。


挑戦したい建物はもちろんあります!が、ネタバレになってしまうのでここでは言わないでおきますね。逆に、楓さんから見て、この建物アツイ!みたいな「今!乗せるべき建築」があれば教えて欲しいです。東京に住んでいるので都内の建物をモチーフにしがちなんですが、今年は他県や海外にも積極的に取り組んでいきたいなと思っています。現場で話すのが一番得意なんですが、SNSの写真で伝えるキャッチーな印象だけじゃなく、動画や記事を通して内容を記録することで「頭上建築」のイメージを一人歩きさせる機会を増やしていきたいとも考えています。


畑島:

確かに、立場上学生なので活動の過激さについては社会も寛容かもしれませんが、クリティークに晒された当人は気が気じゃないかもしれません。ただ、そのような摩擦を経験した上に建築の認識がアップデートされていくのであれば、都築さんの狙い通りですね。

それでは、どんな頭上建築がやってくるのか楽しみにしています。ソーシャルネットワークのような日常を共有するプラットホームが広く浸透し、空間に対する一般の関心が高まっているように感じます。例えば、飲食店が空間への投資を増やしたり、コンセプトショップやフラッグシップ店の空間をメディア的に使ったブランディング戦略は一般化しつつあります。この潮流に一歩踏み込む形で頭上建築を展開していくことも考えられます。例えば、社会に認知されたい服飾企業があって、そのコンセプトが特徴的なものだったとします。表参道にあるハイブランドを想像すると分かりやすいかもしれません。その企業がメディアとして建築を使うのであれば、例えば店舗建物を連想させるようなデザインの制服を店員さんが纏っていたらインパクトがありますよね。ユーザーの記憶に一体感のあるブランドイメージを作るというのは非常に大切なことです。その仲介に建築メディアを使えば連想によってブランディングを行うこともできます。その連想過程の中で一般大衆のブランドへの関心が喚起できれば大きな成果です。


一方で、物理的な建物の需要というのは確実に減少傾向にあります。日本の社会が縮小しているので建物の需要が低下するのは仕方ないと思うのですが、携帯ゲームのような非物理的な娯楽の発展やAmazonに代表されるネットショッピングの普及によって物理的な商業施設やアミューズメント施設が急速に不要になるというのは遺憾なものです。そこで、もう一度物理的な建築の魅力にスポッットライトを当てるような活動があれば素敵ですね。例えば、今年度中の閉園が決まっているスペースワールドのような建物は、アミューズメント事業の中心が物理的な建物ではなくなったことを象徴しています。だからといって閉園に反対するのは短絡的なノスタルジーですが、消え去っていく建築の『語り継ぎたい魅力』を場所の記憶と共に表現していくというのもメディアの役割なのかと思います。


都築:

頭上建築を、アンバサダーのような個人のキャラクターとしてだけではなく、誰かに役立つ手法としてどのように形態化するのかは課題だと思っていたので、ハイブランドの商業施設の例は面白いですね。建築とファッションは相性が良く、近いものとして捉えられてきていると思うので。ここに時代を組み込むとすると、動画が加わってくるのかなと思うのですが、その時にアイドルの流れが面白いなと思う。


某アイドルではPARCOについての歌があったり、衣装にヒカリエがプリントされていたりします。PVでも地域独特の都市空間を捉えていたりして。時代とともに多様に増えたアイドルの中でも、いちアイドルのブランドイメージを作るために、すでにある都市や建築を巻き込んでPRしていて、場所のポテンシャルを再表現することで、結果的にヲタクたちの団結力とともにシビックプライドのようなものにも繋がっていくだろうところが更に面白いなと。

物理的な商業施設が必要無くなっていくことは正直、楽観的に捉えています。

その上でも必要とされるものが、より洗練されて、自由度高くなり、かつ数が減る分予算にも余裕が出てくるのでは?と思っています。今は世の中が、それがあるから気づかないけれど、失って気づくのを待ってるような気持ちで、都市が変化していく一つの機会として捉えています。


もちろん、無くなっていく建築の中にも失われては惜しい存在はあるかと思うのですが。それは遠かれ遅かれ来るものだと思うし、そのままの形であり続けるより、その昔の建築や不要になった建築一つ一つを「おじちゃんおばあちゃんな建築」と捉えて、もう一つ時代に合わせて変わっていくことでより長く愛される場所にグレードアップしていければいいと思います。その時にただ昔のものを保存を目的としたリノベーションをするよりも、大好きなおじいちゃんおばあちゃんに対してするような、尊敬と学びの姿勢を持ちつつも、もっと無邪気でポップで、大胆なリノベーションや建て替えが日本に次なる景色をもたらしてくれると思います。おじいちゃんおばあちゃんが、孫がしたことに対して愛を持って寛容なように、おじいちゃんおばあちゃん建築にもそれだけの度量があると思います。それが「消え去っていく建築の『語り継ぎたい魅力』を場所の記憶と共に表現していく」事にもつながると考えます。


畑島:

建築のプロポーションや装飾は人体や服飾の引用から成立したという歴史があります。例えばギリシャ建築のオーダーはドリス式が男でコリント式が女性だったり、神社の千木の形状で祀っている神の性別を表現するなど、建物の人体的な表現が慣習的に行われてきました。この流れを反転させて「ファッションが建築を表現する」という試みもありますが、デザインの反復によって両者が一体感を高めていくような未来を期待しています。


また、ピクチュアレスクというように長い間建築の表現は文字と写真に頼ってきました。また、より複雑な理解のためにダイアグラムが用いられています。しかし、建築の価値がハードからソフトに移行しつつある現代においては客観的なメディアによる可視化の限界も感じられますし、「建築の良し悪しは訪れてみないと分からない」という印象は2000年代までの建築よりも2010年代移行の建築の方が圧倒的に強くなっています。そこで、個々の体験がメディアとして効果的なのかなとも思います。写真家が撮った一枚の写真が全てを語るのではなくて、空間を訪れた個人の写真や動画の投稿(いわゆるアンバサダー)が全体性を語るという流れが5年ほど前から徐々に一般化してきています。発信する個々がメディアを作っています。それでは建築の表現はコントロール不可能なのかというと、そうでもありません。都築さんが仰るように、動画やアイドルによるPR(Public Relationship)がシビックプライドなどを刺激することで、アンバサダーの発信内容を左右するという図式が成立しそうです。


私も建物が減ること自体には楽観的で、量産から集約・洗練への好転換だと捉えています。その中で集約・洗練の作法が議論されています。「解体の作法」や「地方の折り畳み方」の議論が2013年以降に盛んになりました。都築さんの卒業設計でも廃校になった小学校を対象とした新しいアプローチが提示されています。よろしければ、卒業設計について説明していただけませんでしょうか?


都築:

「建築の良し悪しは訪れてみないと分からない」という印象が強くなる中、instagramやフォトジェニックという言葉の流行にも見られる、体験よりも1枚に切り取った時のヴィジュアル性が重視される傾向もあるように感じます。ポップアップフォトブースやカフェの写真を意識したウォールデコレーションなど、ファッショナブルな場所がそれです。卒業設計の話にも繋がるのですが、フォトジェニックシーンを取り入れることで、まず、いかに一目惚れさせるか。そしてその場を訪れてもらい、空間性や居心地の良さから惚れ込んでもらうか。2度、3度、恋させるモテ建築が時代に則していると思います。


補足すると、人間と同じで、まず見た目でタイプだと思わせ、その後中身を知って更に好きになるようなことです。このように建築も、「イケメン建築」、低予算で実現する「堅実派建築」、見た目重視の「チャラ男建築」、構造重視の「理系建築」みたいに分類分けされると面白いかも。集約・洗練の作法の話では「解体の作法」は私も興味深く拝見していました。卒業設計は展示会を済ませたところで、自身の中でも消化しきれていない部分もあるのですが、少し触れさせていただくと...作品タイトルは「建築怪盗キャットウォーク-第0話 小学校が盗まれた?!」です。


一般的な卒業設計と大きく違うのは、建物の設計として模型や図面を作ることに加えて、黒猫のお話を付加していることにあると思います。建築怪盗という、物を盗む怪盗ではなく、場所をジャックし建築的操作で再構築してしまう怪盗が、廃校になった小学校をジャックし、泊まれる美術館にアーキテクチャライズしています。設計手法でもキャットウォークを用いています。この美術館を訪れるビジターはキャットウォークが導くシークエンスの体験を通して、フォトジェニックシーンに遭遇していきます。設計背景や建築情報を猫の女の子の体験を軸に物語として表現し、SNSを通じて配信していくことで、一般に対して建築を伝える方法として、このようなアプローチを試みています。建築と人々との接点に、漫画やアイドルの聖地巡礼を意識していたりします。


[fig.8]建築怪盗キャットウォーク


畑島:

とても面白いです!建物をメディアとして完結したものに仕上げるのではなく、建物が発信される対象としてアンバサダーを生むように計画されているのですね。フォトジェニックなどの視点もそうですが、建築の表現をメタ的にコントロールしている建築は史上初じゃないでしょうか。


この場合廃校をジャックするのは設計者である都築さんではなく、ここを訪れたビジターの人たちですよね?廃校の中に印象的な空間や素敵な空間があって、その空間自体がメディアとして発信しているわけじゃないけど、ビジターが印象的・魅力的な空間を発見した気分になって自発的に発信をしている。その風景はまさに建物のハイジャックです。一方で、この状況をメタ的に見ると建物がジャックされている状況を演出しているのは綿密に計画されたキャットウォークであり、都築さんであると。まさに「建築怪盗キャットウォーク」ですね。


空間体験の計画に具体的な物語を用意したということですが、具体的にどのような計画をしたのか聞かせていただけますか?また、設計の軸として「猫の女の子」を据えたのは、都築さん自身が女性であることや猫化したほうが分かりやすいアイドルらしさを獲得できるなどの意図があるのでしょうか?


キャットウォーク-模型

[fig.9]キャットウォーク-模型


都築:

まさにおっしゃる通りで、廃校を最終的にジャックするのは、設計者である私ではなく、実際に訪れるビジターの皆さんです。ビジターが訪れ、皆さんがそれぞれに印象的・魅力的な空間を発見し、発信を行う。このアトモスフィアをシェアする行動がまた新しいビジターを呼び込む。私は、それが必然的に発生するように、秘密結社MTTBと共に綿密な設計や、気づきの仕組みを怪盗現場にちりばめます。そして建築怪盗キャットウォークを名乗り、WEBを介してアトモスフィアのかけらを見せていくことでビジターが訪れるきっかけを与えます。

空虚だった怪盗現場の本来その場が持つポテンシャルを、キャットウォークを使って見える化しているだけなんですが、真新しい、新鮮な出来事が目の前で起こってるように演出することも、行おうとしていることです。


空間体験に出会うための物語についてですが、今まさに、さらなる発信に向けて手を動かしているところです。部分的にお伝えすると、建築怪盗キャットウォークには、その怪盗活動に手を貸してくれる仲間が出てきます。純白の貴公子「設計仮面」や、変身のきっかけとなる黒猫など、、。現実の場所や人間(建築家)を用いた漫画がベースにあるんです。

きっとこの対談が発表される頃には、キャットウォークのtwitterに何かしら動きが出ているかと思います。今まで都築響子として建築界の広告塔の活動を行ってきたのに、今回「猫の女の子」のキャラクターを新しく据えたのにも、もちろん理由があります。


一番重要なのは、建築や現実の世界について書くからこそ、ファンタジーのキャラクターを起用することにありました。キャットウォークは『誰でもない誰か』であり、『誰でもなれる誰か』なんです。女の子の変身願望やドジで泣き虫な女の子セーラームーンに対する憧れがフォトジェニックな自撮りや女子会に繋がっていると思っていて、そういった女子の行動のシナジー効果をキャットウォークにも期待していたりします。それが猫であるのは、人間の縛られがちなルールや名前(例えば、ここは○○さんの土地である。とか駐車場である。とか)を一度、視界から外し、目の前にある「形」の使い方や、その「場の心地よさ」を、猫が気持ち良い場所に自由に転がるように、純粋に感覚から設計をする。という意味も込められています。


キャットウォークという言葉に、建築の図面的な意味、ファッションショーでの歩き方、のように分野を超えた複数の意味を持っていることも選定理由になっています。相手の分野の単語は説明する際、話のきっかけにもなりますし、馴染みのある響きは覚えやすいので。

そして響きが良い!猫ってヴィジュアルとしてわかりやすいし、可愛い!というのも重要な決め手の一つです。


建築怪盗キャットウォーク-物語

[fig.10]建築怪盗キャットウォーク-物語


畑島:

なるほど、かなり具体的で非建築的なストーリーが背景にあって、その物語をキャットウォークによるジャックを通して拡散対象にしているわけですね。これはすごい作品として語り継がれそうだという予感がし、心からワクワクします。笑

対談の冒頭でも触れましたが、今までの建築界の広告塔としての都築さんは建物を擬人化することによって注目・発信されるべきアイドルとして扱いながら、その魅力を代弁しているような活動をされてきました。近い言葉でいうと、翻訳とかブランディングみたいな活動のイメージです。一方で、この対談の中で私が知った都築さんは、建物自体を擬人化せずに、代弁もせずに魅力の発信を行おうとしているこれまでとは方針の違う姿でした。建物にする擬人化や代弁を外在化させることで、ビジター(アンバサダー)自身の発信力を利用した代弁をしているように見えます。都築さん以外の一般人も広告塔にしちゃった方が拡散力もあるし、より発信内容の客観性が高まります。


SNSの浸透によって店舗や企業がFacebookやTwitter、Instagramなどを始めるような時代になりました。集団やブランドのような”非個人”がSNSのアカウントで個人を装いながら発信するようになったわけです。まさに、擬人化です。その裏には「売れるためには話題にならなければいけない。そのためにはシェアしたくなる内容を発信しないといけない。」という経営者の判断があると思うのですが、フォトジェニックであることが経営戦略に用いられるようになりました。例えばレストランでは、「おいしい料理」と「おいしく見える料理」が一致することで、社会は「おいしい料理」という評価を与えます。サービスなどでも、「面白い、楽しい」と「面白く見える、楽しく見える」を一致させなければユーザーは増えません。このような転換のなかで、「素晴らしい空間」に対して「素晴らしく見せる」戦略を取る建築怪盗キャットウォークのような設計は徐々に現実化していきそうです。いつか実現した建築怪盗に、私もジャックされてみたいなと思いました。笑


「素晴らしい空間」を「素晴らしく見せる」戦略というと、建築の分野で言えば舞台芸術が最も近いような気がします。キャットウォークというのも、歌舞伎でいう花道のように舞台装置として使うのが一般的です。このような思考も都築さんの中に何かルーツがあるのでしょうか?


都築:

頭上建築の時と目指すところは変えていないのですが、それをよりカスタマーライクにするために、最前線に立つ活動を、今までよりもう1フェーズ増やたような感覚です。

さかなクンは、魚をターゲットの目の前でさばいて美味しく料理にできるけれど、頭上建築はなかなか目の前で建物を設計し建つところまでを見せて体験してもらうのは、大きさ的にも時間的にも難しく、工夫が必要だなあと感じていました。だけど、だからこそ、体験まで持ち込めたら、かなり面白いだろうなと、挑戦意識もありました。その為に、もうひとつ課せられたのが、建築怪盗という空間の魅力に気づいてもらうためのストーリーや演出でした。建つまでの過程を物語として語り継ぐことで、設計時と竣工時の時間的ギャップを面白く埋められはしないだろうか?と考えました。カスタマーライクを意識していく中で、ビジターの発信力の活用や、建築怪盗の匿名性は必然的に企画に寄り添うように出てきました。

建築怪盗にいつかジャックされたいと言わず、一緒に建築怪盗になってジャックしちゃいましょう!秘密結社MTTBとしても大歓迎です。(あ、言い忘れましたが、MTTB=マタタビです。)


「素晴らしい空間」を「素晴らしく見せる」戦略のルーツは根本をたどると幼少期です。町の人が皆、自分のことを知っているような村社会で育ったことにあるように思います。この頃から、相手に対して自分がどのように見えるかを意識しながら育ちました。少し大きな家柄だったので、両親に恥じないよう、「都築さんちの可愛い響子ちゃん」というキャラクターを作っていました。表現は小さい頃から習わせてもらったピアノやヴァイオリン、新体操、書道から。造形としての鍛錬は、東京芸大という美術と音楽の畑で建築を学び、舞台美術やステージデザインに関わる機会をいただきながら育てています。人生そのものが舞台表現のように生活していたので、建築の「素晴らしい空間」を「素晴らしく見せる」戦略を立てて、舞台装置のように扱うのは自然な感覚です。


畑島:

都築さんといえば建築界の広告塔として最前線で活動されている印象が強いですが、東京藝術大学の学祭でサンバを披露する表現者としての側面も有名ですよね。幼少期の相手に対してどう見えるかを意識してキャラクターを作っていたという経験は今の活動を連想させるエピソードですが、私は現代的な状況も連想しました。ここ数年のうちにセルフィー(自撮り)が流行し、SNOWのような自撮りアプリで撮った写真をSNSに投稿する人が増えました。画像は加工されているので、見る側も投稿する側も実際の人物像とはズレがあることを理解しながらもセルフィーを行います。これって、「相手に対してどう見えるかを意識してキャラクターを作る」っていうことと同じで、舞台の化粧やライティングと同じ志向の一種の“演出”だと思うんですよね。


オックスフォード英語辞書の選ぶ今年の言葉では、2016年を表現する言葉として「ポスト真実(post-truth)」が選ばれました。以前から私たちの生活にはバーチャルなものと現実が混在していましたが、バーチャルの比重が現実よりも大きくなったことを表す衝撃的な言葉です。また、真実よりも虚構のほうが真実らしく振舞っているという状況を代弁しています。少し大袈裟な言い方かもしれませんが、演出された世界がリアルな世界を飲み込み、新しい真実が登場しようとしているわけです。先ほど都築さんが仰られた「動画や記事を通して内容を記録することで『頭上建築』のイメージを一人歩きさせる機会を増やしていきたい」というのも、建築における生身の空間体験(truth)を効果的に発信するための演出された空間体験(post-truth)のように解釈していました。


対談も終盤となりましたが、卒業設計は今後どこかで再度発表したりする予定でしょうか?今後の都築さんの展開から目が離せません。


渋谷-都市

[fig.11]渋谷-都市


都築:

セルフィーは自己のキャラクター化表現を簡単にし、一般的にしてくれました。女子高生が趣味ごとにSNSアカウントを分ける行為も相手に合わせて自分のキャラクターや発言を変えて表現する行動です。また、twitterアカウント「サザエbot」のように中の人が誰かわからないものに対しても多くの人が恐怖感を持たず受け入れています。こんな今の時代だからこそ、「都築響子」と別のキャラクターとして「建築怪盗キャットウォーク」を構え、匿名の誰かとして配信していくことが受け入れられやすいのではないかと感じます。


「ポスト真実(post-truth)」はとてもしっくり来る言葉で驚いています。建築怪盗を「リアルなんだけどファンタジーなお話」と表現していて、これが言葉として矛盾しうまく表現できないと思っていたのは、POST-TRUTHストーリーなのかもしれません。代表作『ドラえもん』で有名な藤子・F・不二雄さんがSF(Science Fiction)を「SF=少し不思議」と造語を作っていたのは有名な話ですが。これに敬意を称して、PT(post-truth)を「PT=ぽっとトキメク」なんて言い換えてみようと思います。


今後、一般的な建築卒業設計の発表の場としてはSDL(仙台デザインリーグ)やデザイン女子in名古屋などの機会をPRの場として借りつつ、物語展開は順次、WEB上でキャットウォークのtwitterとinstagramから発信をさせていただこうと思っております。

実施プロジェクトに関しては、怪盗予告をお待ちくださいませ。


畑島:

twitterやinstagramも卒業設計の一部のようで、設計から物語まで一体感を感じます。都築さんの怪盗予告や、「建築怪盗キャットウォーク」の怪盗現場に立ち会った他の人たちによるジャックも楽しみにしています。建築のメディアとしての側面という切り口からスタートした議論でしたが、とても射程の広い話題であることが再確認できました。今回は大変刺激的な対談をありがとうございました。


都築:

対談を通して、自身の中でも考えが整理されたり、楓さんの言葉に発見の連続でした。

貴重な機会をありがとうございました。


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